沙羅双樹満開録

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「はんじょうとは宇宙である」

本記事は、はんじょう氏の視聴者であることを前提に話が進められることを理解の上読んでもらいたい。

 

「はんじょうとは」について考えていこうと思う。

「はんじょうニヤニヤCH」というはんじょう氏のmadを投稿しているYoutubeチャンネルがあるのだが、2025/6/25に「はんじょうとは」という動画がプレミア公開予定であることが観測出来る。

「髪切った男の雑談配信」(2023.8.28)より
この動画は当配信から二年後弱に配信予定である。シンプルだが面白い笑いのアプローチだ。

この「はんじょうニヤニヤCH」氏と本記事は関係ないが、僕が「はんじょうとは」を考えようと思ったきっかけになったので触れさせて頂いた。

 

 

若干ネタバレになってしまうが、「はんじょうとは」に対する解は無限に存在する。

私が生きている限りは。厳密に言うならば私が認識している間は。

何を言っているかは読んでいけばわかるだろう。

様々な答えを用意したので楽しんでもらいたい。

 

・はんじょうとは「配信者」である

そもそも配信者とはなにか明らかにしておきたい。

「配信者とは、テレビ・ラジオ・新聞・インターネット回線などの通信媒体を使って情報を配信する人の事を指す。」(ピクシブ百科事典より)

(正確な引用では無いかもしれないが、小規模なブログなので許してほしい😢💦)

はんじょう氏はtwitch,openrecやYoutube等サイトで配信活動を行っているので上載の配信者の定義には当てはまる。

また、彼は配信活動で収益を得ているし、恐らくその配信者としての収入で生活をしているのでれっきとした配信者だ。

はんじょうとは「配信者」であるといっていいだろう。

これは「配信者」だ

 

いきなり自明な事実に対して定義などを持ち出し話を展開していく様子に読者はイラついただろうか?本記事はそんな面倒くさい記事なので覚悟して頂きたい。

 

 

・はんじょうとは「ヒーロー」である

ヒーロー(hero)とは勇者や英雄を指す言葉である。

僕の知っているはんじょうは勇者、英雄といった言葉で形容できるような人物ではない。だが、日本語とは素晴らしいもので

「レトリック(修辞学、美辞学)」という概念がある。

今回焦点を当てるのはレトリックの一つの「誇張法」だ。

その名の通り、誇張法は物事を大げさに表現することで受け手の心により強く訴えかける技法だ。

例えに最近の言葉を挙げるなら「神」がそうだろう。

本来神は絶対的存在を意味するものとして使われることが多かったが、最近(?)は「神がかっている」や「神ってる」などまた違った意味合いで使われることがある。

「神がかっている」の「神」は絶対善といったものではなく「すごい良かった」程度のことでも使われるだろう。が、「神」という莫大なエネルギーのイメージを持つ言葉をあえて使うことで言葉に面白み、重みが生まれるのだろう。

「今日の配信はとても面白かった」よりも「今日の配信は神回だった」

のように言葉を選択することで文章が一段階"良く"なる。

話が大きくズレてしまったが、こんな感じだ。

 

せっかく「はんじょうとは配信者である」と証明したので使ってみよう。

彼は配信毎数千人、ときには一万人もの人を集めるのだが、そんなに人が集まるのは面白いからであり、当然面白いコンテンツには笑いが生まれる。

婉曲的になってしまったが、要するにはんじょう氏は沢山の人を笑顔にさせているのだ。

一般的に勇気ある行動を取ったり、人に勇気を与える人のことを指す。

人を笑顔にさせることと人に勇気を与えることの共通項を見出し、誇張法的につなげることは出来るはずだ。

彼の視聴者の中には配信を楽しみに仕事や学校生活等苦痛を乗り越えようと思っている人がいるはず、このポジティブな動機を与えている点で共通している、といえないだろうか。

これは「ヒーロー」だ

・はんじょうとは人である

そういえば、「はんじょうとはヒーローである」ことを証明した際、僕は彼が人だと思っていたし、それを前提に話を進めていた。

ソクラテスも言っていたように物事を説明する際、説明する者はそれがなんたるかを説明できるべきだ。「説明できるべき」までは僕は思わないが物事の再確認は大切なので「人とは何か」をまず明らかにしよう。

といっても人間の解釈は多様に存在するので困った💦

「1+1=2」問題が難関なのと同様に物事の証明で難しいのはその問題自体ではなくその問題の前提となる公理を安定させるのが難しいんですねー

まじで困った(笑)

繰り返す内容になるが、人の解釈は多岐に渡る。

とりあえず様々な「人」の在り方を洗い出してみよう。そしてひとつずつ証明していけばよい。

ホモ・サピエンスとしてのヒト

余談だ。地球上には黄色や白黒(茶)など様々な肌色があるけれど、それらは全てホモ・サピエンスなんだ。生物学的には地球に人類は一種類しかいない。肌色なんて愚かな記号で優劣をつけないでね😢

②知能が高く、言語を有し、社会生活を営むモノとしての人

こんな感じだろうか。否、もっとあるのだが「こんな感じ」にしておきたい。

 

ホモ・サピエンスとしてのヒト

ホモ・サピエンスについて調べていたら現生の全人類どころか旧人以降のカセキジンルイは全てホモ・サピエンスに分類できるということがわかった。

だからといってはんじょう氏がホモ・サピエンスであるという完全証明にはならないが、見切りをつけることも大切だ。

 

 

②知能が高く、言語を有し、社会生活を営むモノとしての人

ここで指す「知能が高い」は人全体が土俵になっているため、議論すべきははんじょう氏の知能ではなく、人の生物界における知能の高さだ。そして、それは自明だ。

また、はんじょう氏は日本語話者であるし英語も少しは読むことが出来る。

3つ目の特徴の「社会生活を営むモノ」とあるが彼は引きこもってゲームをしては叫ぶだけの人だ。社会的生産性がない彼は社会生活を営んでいると認めていいものだろうか。

はんじょうは人ではない🤔❓、、、、、、という冗談はさておき。

ここで指す社会生活とはそんな厳しいものと捉えなくていいだろう。

現代社会(少なくとも日本)では引きこもっているニートや痴呆の高齢者なども人としてカウントされている。ので何かと関わっていた、いることは社会生活とカウント出来るのだろう。

もしくは、社会生活を営んでいるか否かでは上記の人?らは人ではないのだが、人体を有していたり、ホモ・サピエンスだったり、言語能力があったり、と他の項目がだいたい当てはまっているからとりあえず人として認めているだけなのだろうか?難しい問題だ。

 

一部微々たるところで怪しい箇所もあったが、そもそも私達がはんじょう氏を直感的に人と捉えているので恐らく彼は人なんだろう。やっとQ.E.D.だ。

これは「人」だ

 

・はんじょうとは「賢者」である

はんじょう氏を知る方なら困惑しただろう。

証明不可、に感じるかもしれないがこれの証明は簡単だ。

砂山理論をご存知だろうか?

砂山のパラドックス - Wikipedia

これと本質的には同じ理論で「ハゲのパラドックス」というものがある。

そちらのほうがユーモアがあって理解に易いかもしれないのでハゲパラの方の解説をしよう。

磯野波平氏をご存知だろうか?大体の人が知っているだろう。

僕は名前が思い出せなかったので「サザエさん 父」と検索してこの画像を持ってきた(若い人間アピール)

彼は言わずもがなハゲだ。

では、彼に髪の毛を1本足したらどうだろう? ハゲだ。

では、もう一本足したらどうだろう?     ハゲだ。

では、もう一本足したらどうだろう?     ハゲだ。

では、もう一本足したらどうだろう?     ハゲだ。

では、もう一本足したらどうだろう?     ハゲだ。

          ・

          ・

          ・

ハゲに毛を一本足してもハゲはハゲのままだ。がしかし、この作業を10万回繰り返したらどうだろう。

平氏はハゲではないだろう。

では、どこを起点にハゲがハゲでない状態に変わったのか。

我々は髪の毛が5万本以上ならハゲ、といった基準を設けていない。が、基準は必ず在るのだ。

ハゲのパラドックスが訴えているのは、こういった人間の認識の曖昧さ、相対的な感性だ。

要するに全てはグラデーションなのだ。明暗も、陰陽も、貧富も、美醜も、発達障害だって。

認識は全て相対的なものだということを意識してほしい。

 

以上を理解したことを前提に話を戻そう。

「はんじょうは『賢者』である」

この議論で着目べきは「賢い」だろう。

まあ、この問題は誇張表現で感覚的に解決されているのだが、折角なので「全てはグラデーション理論」つまるところ「相対主義」の思想で解決したい。

はんじょう氏は関係者殆どから白痴の人間だと思われているに違いない。

しかし、この賢いか賢くないか、この基準、認識も相対的なものである。

環境づくりは多様に存在する。

彼を白痴と思わせる理由、環境を踏まえて否定形にすればよいのだ。

例えば、社会人の物差しで彼の知能を測っているから、彼を勉強の才能で測っているから相対的に馬鹿になってしまうのだ。

なので、比較対象を子供や赤ん坊、なんなら魚類にしてしまえば彼は賢い存在として認められるし、スプラトゥーンの上手い下手で能力を測れば彼は優秀になる(賢いとは少し違ってしまうが、、、)

理論上は全てのものは全てになる可能性を内包しているのだ。

これは「賢者」だ

 

 

・はんじょうとは「ハシビロコウ」である

ハシビロコウ

はんじょう氏は配信上で顔がハシビロコウに似ているため、ネタ的にハシビロコウと言われることがあるが、僕は本気で彼がハシビロコウと証明しようと思っている。

ここから理論の飛躍?暴走?が一気に加速するので頑張ってついてきてほしい。

 

そもそもハシビロコウとは何か?この問いは今までの定義云々とは性質が異なる。

僕は認識が存在に先立つと思っている。というか、これは証明も反証も出来ない。

ハシビロコウの話は一旦おいておいて、「認識が存在に先立つ」問題を先に説明し終えたい。

現在の科学(古典力学)は「存在が認識に先立つ」の立場を取っている。

例えばりんごがあるとしよう。

このりんごは私が認識している、いないに関わらずここに在る、というのが「存在が認識に先立つ」(存在が認識の先にある)ということだ。

そして、僕の意見では

このりんごは私が認識しているからここに在る。

これが「認識が存在に先立つ」だ。

 

読者はどちらの意見を推すだろうか? 殆どの人が「存在が認識に先立つ」要するに現代科学の方を選ぶのだろう。

一つ勘違いしてはいけないのが僕は決して「存在が認識に先立つ」のが絶対だと信じているわけではない。

僕がしたかったのは、読者の思考の可能性を増やしたかったのだ。

この議論に(恐らく)是非はつけられない。「どちらもあっているし間違っている」が答えだ。「今の人類ではどちらが正しいか、間違えているかを証明できない」と言ったほうがわかりやすいだろうか。

ちなみに現代(一般的な)科学、つまりは古典力学では「存在が認識に先立つ」といったが、「古典」力学とあるように近年新しい科学が認められている。

それは量子力学。この世界観では「認識が存在に先立つ」が認められているんだ。

実感がわかないと思うので「認識が存在に先立つ」の身近な例を踏まえて説明してみよう。

例えば、ここに机があるとする。

休止符の机「やあ✋」

この机を私達は様々なしがらみ(例えば言語、常識、机の前に椅子が踏まえてあるという環境など)によって机を机としか認識していないが、この机は座ることもできれば人を殺める道具としても使える。

要するに机は「机」という言語に閉じ込められているだけで、椅子にもハンマーにもなり得る、なる可能性を秘めているということだ。

「色即是空空即是色」という言葉があるだろう。あの言葉はこの性質を表している。

アリや赤ちゃんを想像してほしい。あれら彼らは果たして「机と呼ばれているもの」を机として認識しているだろうか?

 

もう一つ例をあげよう。

ここにレンガとピラミッドがあるとしよう。

我々人間の大人はピラミッドを世界遺産だなどと単なる大レンガの集積に価値を見出しては意味のない(いや、意味はあるのだが)馬鹿騒ぎをしている。

そして、またアリを想像してほしい。先程と同様にアリはピラミッドもレンガも同様に足場、地面としか認識していないだろう。いや、これも人間である僕の解釈で実際は分からないが。

 

このように我々が認識することで価値や意味、様々なものが我々によって生み出されている。「認識は存在に先立つ」について理解が出来ただろうか?

我々は「机」や「ピラミッド」など視覚的な凹凸に意味を見出しているが、本質的には全ては空虚で区別などつけなくてよいのだ。

 

さて、以上の話は「はんじょうはハシビロコウである」を証明するために作られたものだ。話を戻そう。

ここまで読んでくれた読者諸君ならもうこんな問題、証明は容易いのではないか?

というか、言葉で順序立てて証明する必要性すら失われた。

例えば、「はんじょうは人と呼ばれる本質的には空間の歪みだ。

ハシビロコウも同様に空間の歪みに過ぎない。」というように。Q.E.D.

これは「ハシビロコウ」だ

 

 

 

・はんじょうは「宇宙」である

もう読者が好きに証明してくれて構わないが、僕だったら相対主義理論を使ってこう証明する。

はんじょうの肉体は絶対的な形を有していない。彼の肉体の認識は相対的だ。

はんじょうの肉体を血を含むものと定義するならはんじょうの血液成分が含まれた息を吸い込んだはんじょうの母親ははんじょうだし、同じ空気を共有している筆者もはんじょうである。空気を共有しているならば日本国がはんじょうだし太平洋もはんじょうだ。なので地球ははんじょうだし、太陽系も、ブラックホールも、銀河系も、超銀河団もはんじょうだ。

はんじょうは宇宙だ。

これは「宇宙」だ

 

・はんじょうとは「تيار الموحلة」だ

もはやはんじょうを言語の枠に捉えることすら愚行だ。

تيار الموحلةはアラビア語で「濁流」を意味するがそんなことはどうでもいい。

なんせはんじょうは酒池肉林なブギーポップで豚の尿石が加藤純一の殴り書きとして規律したまんにゅうが陥没し理性的に解釈された母親の自慰行為と盲目007うるさい!母の露わになった胸を見つめる息子りんご赤茶子白痴ですか?だせえよ洞窟の眼差しイデアはもう死んだ徒弟ゾンビは8:30に漸くピーターパン・サタンシンドローム着地0時イレブンおれ様が俺様が俺様gおれsまあまおれはさまがおあkroreamaooおrewamなはんじょうがはんじょうしてはんじょうしてはんじょうははんじょうはははははんじょうにはんじょうしかしはんじょうが似や良いやはんじょうgamaooおrewamなはんじょうがはんじょうしてはんじょうしてはんじょうははんじょうはははははんじょうにはんじょうしかしはんじょうが似や良いやはんじょうははんじょうはははははんじょうにはんじょうしかしはんじょうが似や良いやはんじょうgamaooおrewamなはんじょてはんじょうしてはんじょうははんじょうはははははんじょうにはんじてはんじょうしてはんじょうははんじょうはははははんじょうにはんじてはんじょうしてはんじょうははんじょうはははははんじょうにはんじてはんじょうしてはんじょうははんじょうはははははんじょうはんにょむにはんじよむ

 

 

           「ㇶ

 

 

 

👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁

👁🧠👄🧠👁🧠👄🧠👄🧠👄👁

 

なのだから。

 

 

・(冗長?)はんじょうは「無ではないモノ全て」だ

「はんじょうは宇宙である」で終わったほうが良い気がしますが面白い話題なので少し続けます。

絶対的、最強かと思われたはんじょうですが、一つ人類の生み出した足枷により克服できないものがあります。

人類の生み出した足枷とは言語です。

最強はんじょうですが、無になることは不可能です。

はんじょうは絶対的存在になることは出来ないんですね。

なぜかというと、「絶対的存在」という存在自体が誤っているから。

そもそも絶対的というモノを我々が認識できている時点でそれは絶対的ではないんです。

なので、絶対的存在は「無」しかありえないという「存在しない」という「存在」が絶対的なものなんですね。

太字の時点で自己矛盾していることがわかります。

よって、はんじょうは「無ではないもの全て」なんです。

厳密には「全て−1」ですね

 

 

一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一

 

 

詭弁に詭弁を重ねていましたが哲学ってそんなもんなんじゃないかって思います(怒られそう😢)

正しければ正しいほど納得がいかなくなる。人間っていうのは正しくない生き物なんだろう。

なんてね。🐮では✋

 

 

うつつつつっつっつうつっつうつ   鬱23.8.24

今回の記事はすごい個人的な記事になります。

一度曖昧な知識で固められたうつ病についてちゃんと知っておこうと思った。

文章や画像の引用は面倒なのでしません。個人用なので許して。

僕はうつ病ではないし、なった過去もほとんど無いと思っているので解釈や認識にズレが生じてしまうことがあるかもしれませんがご了承ください。

 

まず、うつ病気分障害の一つで、大きく2つに分けられる。

1つ目は単極性うつ病。(うつ状態サイトによってうつ状態のことを抑うつ状態と呼んだりいなかったりしていますが同義語と捉えて大丈夫です。)のみが定期的に来る。一般的に言われるうつ病はこれを指すだろう。

2つ目は双極性障害。異常に気分が高揚する躁もしくは軽躁状態うつ状態がある。👆のグラフの最左のように躁期の直後にうつ期がくるのが通例らしい。

 

うつ状態躁状態の症状や特徴)

うつ状態のとき

・気分の落ち込みや意欲・興味の喪失

・思考力低下

・気力の減退

・食欲の異常な低下や増加

睡眠障害(不眠や過眠)

・自己肯定感の低下

・不安や焦燥感

といったように肉体、精神ともに衰弱してしまいます。

うつ病の症状で興味深かった具体例をいくつか持ってきました。うつ病の人は必ず当てはまる、というものではなく、あくまでそういう人が(多く)いる、程度に捉えるようにしてください。

・音楽が聴けなくなる:集中力が低下するため、音のまとまりを捉えられず雑音にしか聞こえなくなり好きな曲でさえ鬱陶しくなる。

・映画やテレビが見れなくなる:集中力の低下、興味関心の低下により見れなくなる。バラエティーや短時間の動画は集中力をそれほど要さないので映画やドラマよりかは見ていられるらしい。

・テレビをつけていないと不安:テレビは集中できないが、一人でいると不安や孤独を感じてしまうので視覚や聴覚への刺激で気を紛らわせようとする。

離人感:自分と世界に隔たりを感じる。「見えない膜に包まれている感じ」「水中にいる感覚」などと形容する人もいる。

meden.co.jp

こちらから引用させていただきました。ここでは述べていない具体例もいくつかあるので是非見てみて下さい。興味深くて読んでほしいと思ったので引用しました。

 

 

 

躁状態のとき(躁であって軽躁ではない)

躁状態は確かに社交的、活動的になったりといい方向に症状の過激さが働く場合もありますが、必ずしもいいもの、というわけではありません。(いい悪いなどは人によるものなので躁状態が悪いと言い切ることも出来ませんが、簡単に楽観的に捉えられるものではないと思っています。)

・気分が高揚したり怒りやすくなる

・自尊心の肥大または誇大

・睡眠欲求の現象

・観念奔逸(思考が先走りすぎて会話の文脈が逸脱する状態)

・多弁

・幻聴や妄想が聞こえる

・注意散漫

・焦燥

・目標指向性活動の増加

・危険な快楽的活動への熱中

こちらもうつ状態のシーンと同様に具体例をあげて解像度を上げましょう。

・一日三時間の睡眠で十分に寝たと思い込む

・ギャンブルに全財産をつぎ込む

・上司と大喧嘩をして辞表を叩きつける

といったように社会的信用や立場を失ってしまうことを躊躇なくしてしまいます。

 

また、躁状態にも2つの分類があり、躁状態うつ状態がある状態を双極性障害1型、軽躁状態うつ状態のある状態を双極性障害2型と言います。

その名のとおりですが、一型と二型のは躁状態の深刻さで区別されます。

僕も勘違いしていたのですが、一型は全体的に深刻で二型はあまり深刻な状態ではないです。軽躁は躁状態の深刻さが淡いだけで、頻度が多いなど別のことが問題になってきます。なるほど、一型と二型という名称にはこれで合点がいきますね。

躁と軽躁という日本語で区別するから誤解が生まれやすくなっているんですかね。

それぞれの特徴も確認しておきましょう。

 

一型

一型は二週間〜4,5ヶ月ほど続きうつ病は6ヶ月ほど続きます。(数値は検査によって異なるので参考程度に。)

躁状態がはっきりしていて症状が重く、上向きの躁状態が二型と比較して大きく現れます。

一般的に「躁うつ病」と呼ばれていたのはほとんどが一型のことで、正常時に保つことのできる社会適応性、他者協調性が極端に欠如してしまうほどの気分の高揚や開放を伴います。

 

二型

躁状態は4日以上、うつ状態は二週間以上持続します。

躁状態は入院が必要なほど重篤ではなく、社会生活に大きな支障はきたしません。なので、本人も「今日は気分がいい」程度に捉えていて本人も周囲も見過ごすケースが多いです。

躁状態うつ状態が頻繁に繰り返されるのが特徴で、

摂食障害や過度な不安を感じるアルコール依存と合併しやすい傾向にあります。

 

 

 

以上になりますが、足りない情報などがあれば随時更新していくつもりです。では✋

うつ病について書くにあたり様々な記事を見ましたが、一般にデメリットや悪い点と言われていることを「特徴」と言っていて正しいし、配慮を感じました。極論だけど良いことも悪いことも存在しないよね。

心の盲目(アファンタジア)について

皆さんは「アファンタジア」という言葉を知っていますか><?

あっタイトルの「こころの盲目」はただ素敵だから付けただけで、アファンタジアの別称ではありませんよー。

「心の盲目」から予想できるかもしれませんが、アファンタジアは心の目がうまく機能していない状態、人のことです。

目といってもこれはメタファーではなく「視覚する方の目」です。

 

アファンタジア(Aphantasia)とは心的イメージを思い浮かべることができず、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態を指す言葉である[1](引用:Wikipediaより)

 

自分がアファンタジアかどうか気になる人はこれをやってみてください。

「家族の顔が頭の中に思い浮かべられるか」

出来ましたか?頭の中に家族の顔が浮かんでこなかったらアファンタジアです。

僕はおそらくアファンタジアです。

自分がアファンタジア自認をしたのは偶然「おれって一番愛している友人の顔も(頭の中で)思い出せないぞ」と思って、気になって検索していたらアファンタジアという言葉にたどり着きました。

アファンタジア自認っていうのはかなり運要素の強いものだと思っていて、他人と目に見えて比較出来ないんですよね。他人の心の目なんか僕には見えないしそれは他者も然りで、見えないところは自分が周りと同じだと思い込んだまま生活してしまう。

アファンタジアであることって周りとズレを感じるほど大きな問題じゃないんだ。

些細なズレだからこそアファンタジア自認をしないまま死ぬ人だってたくさんいる。

 

 

ででで、調べていくとアファンタジアってかなり多様な世界っぽい。

まとめるぞ。

 

アファンタジアの世界もグラデーション

まず僕が頭の中で顔を思い浮かべようと目を閉じるとするとただ明るい肌色の壁(まぶた、皮膚)が見えるだけ。時間帯や場所によっては真っ暗な世界。

そして思い浮かべようとなにかを働かせても景色は変わらず、平坦な色のまま。

要するに僕は全く見えないのですが、人によってはよぎる、とか一瞬だけ映るひともいるらしい。

あとで触れますが、アファンタジアの特徴に「夢をみない」というのがあるらしい。

実際夢を(全く?)見ないという声もあれば、白黒で見る、とか夢を見るという声もある。

ちなみに僕は全然夢を見ますね!

みたいな感じで多様な世界なんですねー

 

アファンタジアあるある

アファンタジアあるあるなんて僕は比較対象がいないので作ることが出来ない。

なのでネットから「アファンタジアあるある」らしきものを持ってきました。

で、そのあるあるがあるあるなのか、ないないなのか僕の意見を述べていこうと思います。

アファンタジアあるある|私の体験談をまとめて紹介します | 余白とモノコト

アファンタジアの診断法

以上2サイトから引用させていただきました。ありがとうございます。

 

瞑想のとき、特定のものを思い出せない

「ひつじが一匹、ひつじが二匹」っていうのが見えないって感じのあるあるですね。

これは当てはまります。逆に羊が映像として見えていたらそっちに集中して眠れなくなる気がする笑

(余談)僕は習慣としてマインドフルネス瞑想をすることがあるのですが、たまに瞑想中イメージが湧いてくることがあるんですね。例えば街頭が闇に飲まれていく様子とか、深海に大きな岩がゆっくり着地する様子とか。映像としては見えないけど文章解釈的なかんじで瞑想中イメージが湧くことがあります。

 

算数が得意だけど暗算は苦手

はじめこの文を見たとき「えー?」って思ったんですけど、読んでみたら納得がいきました。

この引用元のブログさん(アファンタジアあるある|私の体験談をまとめて紹介します | 余白とモノコト)、論理がしっかりしていると思います。(上から目線の言い方でごめんなさい。これ以外の言い方が分かりませんでした。)

アファンタジアにとって暗算は計算するのではなく複数の数字を記憶していることが難しいと言っています。

計算っていうのはスポーツみたいなものだと思っていて、とにかくたくさんやっていれば自ずと計算は速くなる。それは映像として見えるどうこうは関係ないと思っています。が、確かに与えられた数字を暗記しておくこの初見への対応力はアファンタジアか否かが大きく作用する気がします。

僕は計算や暗算は普通の人よりかは速いと自負しておりますが、たしかに数字の記憶は

苦手です。

 

頭の中で音楽を流せないので鼻歌が多い

確かに頭の中で音楽は流れませんね。僕の場合は口笛をふきます。

アファンタジアじゃない人は頭の中で歌が流せるの?すごい。

 

以上アファンタジアあるある|私の体験談をまとめて紹介します | 余白とモノコトさんからの引用でした。ありがとうございました。

そして、問題はアファンタジアの診断法さんの方ですね。

ここではTwitterで見かけたアファンタジアあるあるをまとめているようですが、アファンタジアの悪いところが出ていますねー😢

そのままコピペさせていただくと、

  • 若いのに朝ごはんが何だったのかを思い出せない
  • 家族・好きな人・自分の顔が浮かばない
  • 彼女の髪型が変わっても何がどう変わったのだか言えない
  • 簡単な絵を描く時に概念的な絵や絵描き歌に沿った絵しか描けない
  • ものまねをしようにもその人のしゃべっているビジュアルが浮かばず聞こえるかのように脳でセリフを再生することが出来ない
  • 自己紹介をされても1人の顔も名前も思い出せない
  • 地図を見れば行けるのに何度行ったことがあっても道を覚えられず方向音痴と呼ばれる
  • 映画やライブやスポーツ鑑賞に行った後日などに感想を話す際、他の人があげるシーンがどこか分からない
  • 読書・演劇感想文で、1番印象に残ったシーンや好きなシーンを問われても1つも浮かばない
  • 自分が楽しいや好きだと思ったことを人に話したり逆にムカついたことを思い出して愚痴ったりすることが少ない
  • 将来どうなりたいかや次のイベントでみんな笑顔になるといいなといったイメージを抱いたことがない
  • 小説を読んだり音楽を聴いた際に情景を浮かべ楽しむことがない
  • 暗記系の科目のみ顕著に成績が悪く一般に理解系といわれる科目でも他の人がつまずかない公式の暗記等に苦しむ
  • 47都道府県が場所と合わせて言えず、会話中に地名が出てきても具体的にその場所を意識して聞いたりしない

らしいです。

なぜ僕が問題視しているかというと上記のことってアファンタジアあるあるじゃないと思うんですよね。純粋に自分が劣っているだけ。それをアファンタジアのせいにして片付けてしまうひとが一定数いるので、それは良くないなと思います。

年の近いアファンタジアじゃない兄弟も最近の献立は忘れているし、髪型が変わったのを指摘できないのは美容の素人なら正確に指摘するのは難しいし、僕は絵がうまく描けるし、相手の顔はまあまあ覚えられるし、映画のシーンの回想話についていけないことはあまりないし、楽しい思い出は頻繁に共有するし、将来の見立てもたてられるし、公式の暗記はできるし、47都道府県場所と名前が一致するし

とにかく!自分の努力不足や怠惰、場合によっては発達障害、個性によるものなどを

なんでもアファンタジアのせいにするのは間違えている、ということは声を大にして訴えたい。

確かにアファンタジアだから人より暗記が苦手などあるかもしれませんが、

アファンタジアは基本的に微細な違いであり努力で容易に乗り越えられます。

自称発達障害揶揄される人達みたいな感じで嫌なんですよね。(「揶揄されている人達」、ですよ)

 

 

アファンタジアであることのメリット

アファンタジアは人の顔を脳内で描けないからといって人の顔を覚えられないわけではありません。僕よりも顔を覚えられない人は周りにも(統計的には)まあまあいます。

実感はありませんがアファンタジアは映像ではなく言葉に分解することで記憶をしているらしいです。

例えばりんごを記憶するなら「赤い」「下手がある」「五角形」といったように言語化しがちだそうです。本当かなぁ、、、

一応その結果に基づくとアファンタジアの人は言語化が得意な傾向にあるらしい。

あとは抽象的な概念を捉えるのが得意らしいです。

 

 

アファンタジアで嫌だったこと

前提としてアファンタジアじゃない世界を僕は知らないのでアファンタジアであることに不満や後悔(しても仕方ないですし)を抱くことはないです。

が、一つだけ「残念だなー」くらいに思っているのは頭の中の映像を絵に描けないことですね。

僕は絵を好んで書きますが、頭の中の映像が見えていたなら絵を描くのが楽になったんじゃないかなーと思ったりはします。

 

 

 

 

本記事はアファンタジアの周知、主にアファンタジア自認を出来ていない人が気づけたらいいなと思って書きました。少しでも皆さんの知識が豊富なったなら天命は果たされるでしょう。では✋

好きな配信者を語ろう❣(はんじょう編)

やあ✋

前から好きなyoutuberについて語る記事を書きたかったのですが、怠惰、怠惰、怠惰の日々。やっとやる決心が出来ました。

1人目は「はんじょう」さん

僕がXにて👇の記事を晒したのですが、せいぜい見て3人だろうと思っていたら現時点でその20倍くらいの人が見に来てくれて、

sarasoujumankai.hatenablog.com

つい数時間前👆とは別の記事でコメントをくださった方がいました。初めて!

我がXのアカウントははんじょうのファンとして絵を投稿しているアカウントで、その方もXのはんじょうさん繋がりで見に来てくれたそうだ。

今はんじょうさんのファンがまあまあ僕の記事に訪れているので丁度いい今やってしまえ!って。

内輪ノリっぽくなるかもしれませんので慎重に文字群を連ねていきます。つらつら😊

 

 

はんじょうとは)

はんじょう氏

僕が書きたいのは、はんじょう氏のなにが、なぜ面白いのかなのでここらは足早にしたい。

はんじょう(前置きは終わったので以下敬称略)はニコニコ動画やOPENREC、Youtubeなどの配信サイトでスプラトゥーンの実況をメインとしていた実況者。が、ここで彼に転機が訪れる。

人気配信者の加藤純一氏と公式配信にて共演しないかという誘いが彼に舞い降りてきた。彼も加藤純一氏の一ファンでもあり、共演してみることにした。(当時加藤純一氏は視聴者共に尖っていたため恐れられていた人物で、はんじょう氏の周りの実況者が皆断った末はんじょう氏にオファーがきたらしい。)

加藤純一氏の視聴者、通称「衛門」もしくは「蛆(うじ)虫」は既記だがかなり攻撃的なファン集団である。

(一部の)衛門は非常に横柄且つ身の程知らずな性質で、基本的に自分らが認めていない相手に対しては荒らし行為など攻撃を仕掛けるのだ。

はんじょう氏も加藤純一氏と一度コラボしたあとは配信で「呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪」と連投されるなど荒らされていたらしい。

私ははんじょうさんや加藤純一さんには敬意を払っているため、二人称が不安定だが、そこは気分だ。

しかし、幾度かの加藤純一氏との共演の結果いつの間にか彼は衛門に認められる存在となった。

なぜ彼についてここを深掘りしているか、まあ読めばわかるだろう。

まず1つ彼を取り巻く環境で特異だと思うのが視聴者の多面性にある。多面性と言っても二元的なものだが。

上記の通り彼の昔からの視聴者はニコニコやOPENREC、Youtubeといったサイトで見ている穏やかな人が多い。こちらの視聴者の年齢層は30〜40代が一番多いらしい(ソースが僕の曖昧な記憶なので間違えていたらごめんね)

そして、衛門らが見にくるのは上記のサイトよりも後に始めた配信サイトのTwitchだ。

こちらはメインの視聴層が20〜30代と若い人たちだ。

僕はまだ10代だが笑 年上を若いと評するのは違和感があるねありますね。

 

Youtubeでの配信 左から二番目がはんじょうさん 一番右の九血鬼さんも魅力的な方で僕はかなり好きです。

Twitchでの配信 チャット欄の質が雲泥の差なのがわかるだろう。

 

この視聴者の二元性はなかなか特異だと思う。

 

僕はそもそも加藤純一さんから配信の世界を知ったため、常識が歪んで形成されているので、逆に平和なコメント欄は全然面白いと思えない。

もちろん配信の主は配信者にあるが、はんじょう氏はコメント欄の愉快さも加味しての面白さ、なので。

 

 

おすすめの配信、動画)

・アンバラステーション

はんじょう氏は👆のYoutube配信での4人+2人の6人でグループのyoutube活動を行っていた。現在メンバーのやる気がなくなったため、自然消滅している。

最後の投稿が「炎上してしまった件について」となっているが、動画内容は「もし炎上したらどんな謝罪をするか決定戦」であって偶然である。

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母数が少ないながらだいたいの動画が面白いのだが、特に面白いと思ったのは👆の二本である。

笑いは王道。笑いの質の微妙に低いところが逆に面白さになっている。

 

 

アンバラステーションは面白い。が、これはあくまでグループでの面白さであり、はんじょうははんじょう一人でも面白いところを主張したい。

 

・はんじょう(一人)

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僕ははんじょうさんのなかでも特に雑談が好きだ。

また、他人におすすめするのも雑談のほうがやりやすいと思っている。

ゲームの切り抜きで恐らく一番好きなのはこれ👇

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なぜ私ははんじょう氏を面白いと思うのか。それを語りたい。

・独特な視点から出る「普通」じゃない感想

まず、彼は発達障害を持っている。

配信ではADHDの名ばかり目立っているが、ADHDアスペルガー症候群(ASD)は(確か)高確率で併発するもので彼はアスペルガー症候群とも診断されると僕は思っている。

診断されるくらいの程度かは専門医ではないので分からないが、配信を見ていてASDの片鱗をみせることがあるのでASD気質であることは間違いない。と言っていいはずだ。

ああ、前提として僕は発達障害を見下しているわけではない、あくまで個性の一つ、性質として捉えているだけなので彼を馬鹿にした発言と捉えるのはやめていただきたい。

善意による差別も差別だ。

少し発達障害について説明をしておこう。

ADHDは正式名称である注意欠如多動性障害を省略するために英訳の頭文字を並べた言葉だ。

具体的な症状としては「じっとしていられない」「物をすぐになくす」「思いついたことを後先考えずにしてしまう」などが挙げられる。

「心も体も落ち着きがない」というのがわかりやすいだろうか。

じっとしていられないのは体が落ち着きがないということだし、物をすぐになくすのも、注意散漫である、つまり心に落ち着きがないということだ。

 

ASDは「こだわりが強い」「空気が読めない」などがある。

筆者がはんじょう氏から感じるASD性は「空気が読めない」ところだ。

ASDの人は空気が読めないので曖昧な言葉の趣旨を捉えるのが苦手だ。

例えば「ここをきれいになるまで掃除をして」という指示があったとすると多くの人は「これくらいできれいになっただろう」とある程度線引ができるが、ASDの人は具体的にここをどれくらい掃除すると言った説明をされないと理解に苦しむ。

こんな感じだ。解像度の高い会話でないとコミュニケーションが難しい、「なんとなく」が理解できないのがASDだ。

はんじょう氏も曖昧な表現にたいする対応が苦手で、たまに文章とのコミュニケーションが噛み合わない時がある、がそれが独特な視点となって面白い発言が半ば無意識にできるのがMr.ASD はんじょうだ。

 

追記)はんじょうのASD性を感じるシーンを思い出したので述べておこうと思う。

はんじょう氏がコードギアスのウォッチパーティーをしていた際、作中の盲目の少女が食事中食べ物を落とすシーンがある(らしい)

それについてはんじょう氏が「食べ方きたねえな」といったようなコメントを残している。

本人曰くその少女が盲目という説明をされていなかったため、目を瞑って食事をするような少女と捉えたらしい。

筆者はコードギアスを見たことがないが、盲目という直接的な説明がなくても目を瞑って食事をしているシーンから盲目という設定を読解できるのでは無いだろうか。

アニメ制作側もそこは読み取ってもらえることを前提に制作している気がする。

この暗黙の了解など曖昧な空気の読解が苦手なのが「空気が読めない」ということである。

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・純粋にコメント力がある

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ただ視点が独特なだけでなく、純粋なコメント力も高いと僕は思っている。

なぜコメント力があると思うかというと僕が面白いと思うからだ。

👆の動画などわかりやすいかもしれない。

 

・常識のなさ

ASDに通じるところがあるが、はんじょう氏はかなり常識がない。

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はんじょう氏は非常識且つ勉強もできない。

こういうたまに魅せる非常識さが爆発的な笑いを生む。

 

・チャット欄も面白い

彼の配信ははんじょうさんだけでなくコメント欄を眺めるのもまた一興である。

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はんじょうさんが配信を好んでやっているのはチャットを読むのが好きだから、らしい。

配信者本人も言うくらいだし、僕もチャット欄は面白いと思う。

特定のワードや状況に合わせて皆同じコメントを打つのは団結力があるし、シュールで馬鹿馬鹿しくて面白い。

 

僕が好きなのがこのはんじょうさんと視聴者の構図で、

はんじょうさんは恐らくチャット欄を見下して笑っている事が多い。「ニヤニヤ」はかなりの確率でチャット欄の幼稚さ、馬鹿馬鹿しさを笑っているはずだ。

しかしそれはリスナーも同じではんじょうさんを馬鹿にして笑うことが多い。

はんじょう氏が滑ったときにながれる「F」コメなどわかり易い例だろう。

 

 

・応援したくなるバックボーン

僕を含め多くの視聴者がはんじょうさんを馬鹿にした意味合いの笑いを向けていると思っている(はずだ)が、同時に彼はすごい人だと思っている。

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思えばこの動画を機に僕ははんじょう氏をより好きになっていったんだった。

自身の並ならぬ苦労が語られるが、彼はその辛さをリスナーに訴える訳でもなく、

いやあ、どん底を経験した人間。応援したくなるよね。

いつか包み隠さず過激な話とか、聴きたいなあ。

 

 

 

こんな感じだろうか。まだ語り足りないが、整理しきれないのでここらでトンズラさせてもらう。

人に見られることを意識した文は面倒だな。拙い文章、構成、かもしれないが、読者が彼、はんじょう氏を少しでも好きになってくれたら幸いだ。

 

 

好きなyoutuber、morgen氏や鈴木ジェロニモ氏について語りたいな。

では✋

僕はSNSを使う

SNSについて語る。

利用理由や、どう利用しているのかその選択肢などを述べようかな。

本記事内で指すSNSは僕の利用しているLINE、YouTube、X(旧Twitter)、Instagramに限定しよう。

 

 

 

・LINE

 

LINEロゴのこの黄緑大好き💚

LINEは遠く離れた人とチャットもしくは電話で会話をする。基本的に会話目的に利用する。他にはメモ機能として使ったりもできる。

また、これは特殊かもしれないが、たまに人間観察のために利用している。

LINEにはオープンチャットという機能があって、匿名で共通の話題を持つ人達で集まれる機能がある。

僕は好きな配信者のオープンチャットに2つ入っている。

どちらも最古参のメンバーといっていいだろう(ドヤ)

一つ目の加藤純一さんのオープンチャットはどういう技術なのかハッキングができる荒らしが入ってきて僕とそのオープンチャットを立てた人の2人以外の20人ほど強制退会させられるという事件があった。

二つ目のはんじょうさんのオープンチャットは様々な理由があるがとにかく僕が設立した。

なぜ設立したのか、面白いので、そして忘れてしまうので記しておこう。

理由は今思い出したので4つほど。

①オープンチャットの伸ばしかたを勉強したかったから。

②色んな人の会話を見たかったから。

③はんじょうさんについて語る相手が欲しかったから。

④ファンであるはんじょうさんの人気の助力になればいいと思ったから。

 

①がメインで数字が増えるほどサブの理由になっていく。

僕の周りの人間は家族以外変わり者ばかりで普通の会話の仕方というのがわからなくなったので普通の会話をみて勉強しよう、という魂胆だ。ニンゲンを知らない化け物みたいだな笑笑笑ら

ちなみにオープンチャットの伸ばし方はなんとなくだがわかったつもりだ。

需要がなさそうだし、考えればわかること且つ冗長が加速するので今は述べない。

 

 

ちなみにオープンチャットでは性欲を満たすこともできる。

例えば「過激可 オリキャラ恋愛」みたいなグループが混在していて、その部屋では脳内破廉恥の若い男女がわんさか性を求めている。

チャットHとかあわよくばLINE交換とかを見知らぬ異性としてオンラインセフレみたいなことも出来たりする。

なのでオープンチャットで性欲を満たしたければ「過激」とか「恋愛」とかで検索をすればいいだろう。

僕もそういう部屋を性欲を満たすために利用していたが時間の無駄なのでやめた。性欲に忠誠していればあっという間に埋没してしまう。あ、未成年です僕。

 

もう一つ、おすすめのオープンチャットがある。

「ギフテッド」とオープンチャット検索すれば出てくるだろう。

ギフテッド系のオープンチャットは話題も面白いものが多いし、刺激的なのでおすすめだ。哲学系のオープンチャットとかも面白いかも。

まあ、読者が各々自分の趣味嗜好にあうオープンチャットを見つけて貰えればいい。

 

 

 

Youtube

 

LINEに続きYouTubeの赤色もなかなか好きです。僕は鮮やかな色が好きな傾向にあるのですが、やはりSNSのロゴデザインは鮮やかな配色であることがおおいですね。

Youtubeは主に動画を見る、もしくは音楽を聞く目的で利用している。

youtubeは基本的に頭を使わなくていい。僕はyoutubeはかなり恐ろしいものだと思いながら利用している。

youtube以外のSNSも同様にそのサイトに人がとどまるほど収入が増える(はず)のでサイト側は人をとどめようと様々な手を使ってくる。

Youtubeはサイトがクリエイター側も手中に収めているので基本的に自分以外は敵なのだ。

そもそもyoutubeは頭を使わないので生産性があまりない。善く生きたいのなら、youtubeの呪縛から開放されるべきだ。

我々はyoutubeスマホを使うために作ったのに使われているんだよ。

 

youtube楽でいいよー。脳を使わなくていいから。。。

脳が安楽死していくようなものじゃないか。。。

 

僕の友人の非常に賢い人はyoutube考えないために使っていると言っていた。氏は普通に生きていると考えすぎてしまって疲れてしまうらしい。で、その無意識に使いすぎてしまう頭を休ませるためにyoutubeを使っている、と。

なるほど世界が違うなあ。。。と思った。

 

「音楽を聞くためにyoutubeを使っている」といったが、こちらの記事で好きな歌をまとめているので是非。

僕の音楽再生リストもありますので是非聞いてみてね❣

sarasoujumankai.hatenablog.com

僕の好きはあなたの好きと大きくズレているかもしれませんが、「良くない」という経験も「良い」と同じくらい学びがあるのでぜひぜひ、って感じ😊

好きな音楽紹介はしたので、近いうちに好きなyoutuber紹介もしたいな。

 

 

・X(旧Twitter)

ヒビ入ってかっこよくなった。僕は「X」のほうが格好良くて好きです。

実はこの青い(白いけど)は「ラリーバード」という名前がついている。

 

Xは描いた絵の投稿か書いた文の投稿のどちらかだ。

僕はスマホに制限がかかっていて、一日30分しかスマホを使えないので(youtubeはPCの方で自由に見れる)ポストはほとんど見ていない。面白いなと思っている人が3人くらいいて、その人がポストしているか確認する程度だ。

絵に関しては、僕は今「はんじょう」さんという配信者のファンで、彼の絵を一日一枚を目標に投稿している。

はんじょうさんしか描かないスケッチブックを専用に作り、様々な表現方法に挑戦、模索している最中だ。

 

文字の投稿に関しても一つ目的があって。

僕はXでの文字投稿を通して紙面上での様々な表現方法を模索している。

要するにいろんな人になりきって投稿をしているということだ。

あるときはVtuberの口調を真似てみたり、あるときは平安時代の武士の口調を真似てみたり、、、などなど

なんのためにそんなことをしているの?と問われたら「理由などない」と答えるだろう。強いて言うなら面白いから、だろうか。

様々な口調で生きていて面白いと感じたことや発見を共有することを目的に利用している。

 

 

Instagram

綺麗ー❣

Xもそうだが、インスタはそれ以上に奇妙な使い方をしていると思っている。

まず、僕はインスタのアカウントを4つ持っている。

それぞれ僕垢、俺垢、私垢、裏垢と僕が呼んでいる。

一つずつ紹介していこう。

 

僕垢

僕は現実では一人称が基本的に僕なのでスタンダートな、素のアカウントということだ。

日常で美しいなーとかかっこいいなーとか思ったものや、学校で黒板に描いた絵などを投稿している。

ただ、僕のかっこいいとか美しいの感覚がブラック成分を多めに含んでいるので、投稿一覧は少し怖いかもしれない。

 

俺垢

このアカウントは一人称が俺なことからわかるように強気な人格のアカウントである。

何を投稿しているのかというと、毎日自撮り+文字の画像を投稿している。

この自撮りというのも一切加工をしていない雑な自撮りなのだ。

ただカメラを虚ろに見つめているときもあれば、殺意を込めて睨みつけているときもある。

そんなことをやっている理由はもちろん面白いから。

 

一応自撮りをあげ始めたのはストーリーがあって、予備校のイケメン先生がインスタでひたすら真正面の加工をしていない自撮りを投稿していて、色々あって「分からなくて気になるならやってみれば?」という言葉を他の先生に頂いたので、実践しているというわけだ。

はじめは僕も真正面の自撮りオンリーにしようかと思ったが、それだと面白くないので、お得意の模索を始めた。

真正面の自撮りを「普通」と定めて、普通とはなにかを見つめる作業ができればいいなと思って様々なアプローチで自撮りしている。

文字もしばらく経ってつけるようになった。

 

ちなみに先生が自撮りを投稿していたのは不器用なナルシスト的な写真でインスタの投稿一覧が埋まるのが面白いから友達との間で前からやっているから、だそうだ。

 

 

 

 

理由っていうのは在るんじゃなくて、見出すモノなんだと思う。

意味がない(なさそう)だからやらないんじゃなくて色々やってみたらいいと思う。

実際僕もそのインスタのおかげ(?)で面白い友人が出来たし。

 

私垢

これはあまり投稿をしていないが、読んだ本の写真とその感想を投稿しているアカウントだ。本を読むのは僕の中では「僕」か「私」で僕はすでに僕垢があったので消去法で私垢になった。

まあ、読んだ本とか、感想を忘れないために記録しておくためだ。ノート一冊作るほど本は読まないのでインスタで整っていればいいかな、みたいな。

 

裏垢

来ました。「どうせえっちなやつだろ」と思ったあなた。名前に惑わされてはいけません。えっちとは対極に近いアカウントです。

気になる内容は「遺書」を毎日投稿する。です。

遺書って言っても文字の遺書のこと。あ、そうそう僕のはてなブログのアイコンがその投稿の一つから持ってきたやつ。

手に書いた「遺書」 小さくてごめんね。

なぜ「遺書」を投稿するのかその目的は2つあります。

①文字の模索

②俺垢と裏垢の比較のため

 

例のごとく「遺書」という文字の普通とは何かを見つめ、様々な表現方法を模索するためにやっているのが一つ。

そして「俺垢と裏垢の比較」っていうのはどういうことか説明します。

俺垢も裏垢も一日最低一枚以上画像を投稿することを信念に活動しています。が、俺垢は毎日且つ一日につき多ければ4,5枚投稿しているのに対し、裏垢は毎日投稿すらろくにこなせていません。

何が違うのか。一番大きいのは承認欲求だと思います。

俺垢のほうは投稿すれば毎回いいねをしてくれる友人がいます。

しかし裏垢のほうは誰にも教えていないのでだれもいいねをしてくれませんし、鍵垢にしているので誰も見ていのは明らかです。

この環境の違いで、承認欲求ドリブンにここまで変わってしまう自分への自戒の念を込めての活動でもあるのです。

裏垢っていうのは誰にも教えていないし、(承認欲求が満たされてしまうので)誰にも教えたくないから。

 

 

という話でした。

この記事を書こうと思ったのはなぜ世の人々は友達との思い出写真をインスタで投稿する(らしい)のはなぜなんだろうと思って、それを機に自分のSNS事情をまとめておこうと思った。まじでなぜなんだろう。。。🤔

 

失われた独白

蝉の死骸みたいなアジフライの尻尾

 

 

 

 

 

放課後の一人遊び

 

 

 

 

 

 

紙のリスカ



 

 

 

 

 

 

遺影の遺影

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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______?_?_?____?_|  死  |__?__?_??______

 

 

 

 

 

 

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